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出雲大社
縁結びの神様として名高く、神話のふるさと出雲を象徴する出雲大社。神々が集い、古代より人々から仰ぎ尊ばれてきた出雲大社。
出雲大社の祭神は、大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)。
大己貴命(おおなむちのみこと)、八千矛神(やちほこのかみ)、葦原醜男神(あしはらのしこおかみ)などの別名も持っています。
大国主大神様は、広く“だいこくさま”として慕われ、日本全国多くの地域でおまつりされています。
参拝の仕方について
出雲大社の参拝方法は普通の神社と少し違い、二拝四拍手一拝となっています。
1. まずは右手で柄杓を持ち左手を洗い、そして逆も同じように行い、最後に右手に持ちかえて、左手の手のひらに水を溜め口に含んで軽くすすぎます。
2. 賽銭を入れ90度の礼を2回。その後、4回手をたたき、手を合わせお願い事を伝える。最後に再び90度の礼を1回すれば終了です。
祓社(はらえのやしろ)

出雲大社の正門(勢溜の鳥居/二の鳥居)をくぐって出雲大社の境内へ入ると、「祓社(はらえのやしろ)」があります。参道の右手に心身の穢れを祓い清める四柱の祓戸神(はらいどのかみ)を祀る祠が祀られていて、「小さな罪や穢」なども含めて、全て祓い清めて下さいます。
瀬織律比咩神(せおりつひめのかみ)は禍事・罪・穢れを川から海に流し、速開都比咩神(はやあきつひめのかみ)は海の底で待ち構えて禍事・罪・穢れを飲み込み、気吹戸主神(いぶきどぬしのかみ)は禍事・罪・穢れを飲み込んだのを確認して、根の国、底の国に息吹を放ち、速佐須良比咩神(はやさすらひめのかみ)は根の国、底の国に持ち込まれた禍事・罪・穢れをとってくれます。
大社の境内は、古来より「二礼四拍手一礼」という絶対の作法があり、「祓社」も同様の作法に則り参拝を行います。
松の参道

祓橋(はらえのはし)を渡り三の鳥居をくぐると、日本の名松100選に選ばれている見事な松並木が続きます。参道は中央と両側の三つに分けられ、中央は神様の通り道ということで、昔は神職や皇族の方以外は通行できませんでした。
一般の人は左右の道を歩くことになっていました。現在は松の根の保護のために中央は通行できないので、端を歩きます。
御神像

境内の入り口手前、右手には出雲大社の主祭神、大国主大神の「ムスビの御神像」、左手には「御慈愛の御神像」が見えてきます。
この「ムスビの御神像」は、1986年に寄進された像で大国主神の前に、幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)の「おかげ」を戴いて、神性を養われ「ムスビの大神」となられた時の像で、その魂を頂く場面を表現しているそうです。
銅鳥居

この銅製の鳥居は、寛文6年(1666年)に毛利輝元の孫に当たる
藩主毛利綱広の寄進によるものです。
拝殿

現在の拝殿(はいでん)は、1963年に新築された拝殿は、戦後最大の木造神社建築といわれます。高さは12.9mで、大社造りと切妻造の折衷様式です。
通常は参拝者の御祈祷が行われ、古伝新嘗祭等のお祭の他、さまざまな奉納行事が行われます。
御本殿


「天下無双の大廈(二つと同じものが無い壮大な神殿)」と称えられる御本殿は、悠久の歴史の中でその度々の御造営遷宮と御修造遷宮を繰り返し、今にその姿を受け継いできました。
現在の御本殿は延享元年(1744)に御造営されており、昭和27年に国宝に指定されました。御本殿の高さは8丈(24メートル)にも及び、“大社造”と呼ばれる日本最古の神社建築様式を 今に伝えています。その特徴は切り妻、妻入りの構造で、平面は九本の柱が田の字型に配置された 正方形の間取りとなっています。
その中心には心御柱と称する太柱があり、その正面向かって右側の側柱との間は板壁となって殿内が仕切られ、この壁の奥に大国主大神が御鎮座されている御内殿(御神座)があります。
従って、御神座は御本殿と同じ南向きではなく、西向きになります。
御内殿の前室には板壁に接して御客座があり、天之常立神・宇麻志阿斯訶備比古遅神・神産巣日神・高御産巣日神・天之御中主神の別天神5柱の神をお祀りしており、 又、中心の柱である心御柱の近くには大国主大神の御子神である和加布都努志命(牛飼神)がお祀りされています。
引用元:出雲大社ウェブサイト
八足門

御祭神に最も近づける門で、通常はここから御本殿を参拝します。
御本殿と八足門の間には楼門があり、正月五カ日は八足門が開放されて楼門前まで入る事ができます。
丸が3個束になったマークが古代の御本殿の柱跡です。3本の丸太を束ねて柱として使っていたらしいです。
出雲大社御本殿周辺
十九社(じゅうくしゃ)/東十九社・西十九社

御本殿の東西両脇に設置された「十九社(じゅうくしゃ)」、謎の長屋造りのお社です。
神在月に出雲大社に集まられた神々のお宿となる社です。御本殿の東西にあり、神在祭の期間は扉が開かれています。
このお社のご祭神は八百万の神。つまり、神在月に全国から集う神々の事。
宝物殿「神祜殿」

神祜殿は1981年、建築家菊竹清訓氏の設計により竣功、宝物殿として出雲大社に伝わる貴重な文化財や美術品が展示されています。「神祜」とは「神の助け」、「神から幸を授かる」という意味があります。
◯拝観料/大人300円、大学・高校生200円、中・小学生100円、幼児無料
◯開館時間/8:30~16:30(入館は16:00まで)
素鵞社(そがのやしろ)

出雲大社ご本殿裏にある「素鵞社(そがのやしろ)」には、大国主大神様の親神スサノオノミコトが祀られています。
「素鵞社」は、出雲大社の隠れパワースポット!素鵞社の砂を家の四隅の置いておけば、家を守ってくれるとも言われています。!
ヤマタノオロチ退治で有名な素戔嗚尊(すさのおのみこと)を祀る社。大国主大神の父神とされ、御本殿後方の一段高いところに祀られています。
神楽殿

出雲大社で欠かせない“大しめなわ”があるのは、「神楽殿」です。1本の太さを比べても、両手一杯に広げても有り余るほどの大きさ!長さ13.6m、重さ5.2トンで日本一なんです。
この大しめなわは、痛みがひどくなるとかけかえられます。島根県飯南町の頓原村で、十数名のおじいちゃんおばあちゃん達が手作りで作られています。
そして、「神楽殿」の奥にある書の額は、墨ではなくなんと刺繍!よく見ると、クロスステッチで作られています。
奥の方には神社形式では珍しい雲の絵が書かれた、ステンドグラスもあるので、チェックしてみてくださいね。
出雲大社の御朱印

出雲大社でも御朱印を頂く事が出来ます。
御朱印を貰える場所は、御本殿と神楽殿。
出雲大社 お守り

お守りとお札は種類が豊富ですので、ご自身の状況に合わせて選びましょう。
出雲大社のお守りは他の神社同様「長寿」や「厄除け」「開運」など色々ありますが、一番人気はやはり「縁結び」お守りです。
他にも縁結びの紅白の糸があります。
お守りと並んで縁結びのご利益がある縁起物として親しまれ、その昔は衣服に縫いつけたりして良縁を祈願していたそうですが、現在は通常肌身離さず持ち歩く財布やスマートフォン、鞄などに入れたり結びつけて良縁を願うのが一般的です。
- 家内
- 安全御玉串(お札)
- 家内安全・諸願成就(木札)
- 交通安全(木札)
- 縁結守
- 壮気健全守
- 学業守
- 開運守
- 厄除守
- 安産守
- 長寿守
各1000円です。
出雲大社の由来

『古事記』に記される国譲り神話には、国譲りの条件として天照大御神(あまてらすおおみかみ)が大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)のために巨大な神殿を建立したのが、出雲大社の起源とされています。
縁結びの神・福の神として名高い「出雲大社(正式な読みはいづもおおやしろ)」は、日本最古の歴史書といわれる『古事記』にその創建が記されているほどの古社で、明治時代初期まで杵築大社(きづきたいしゃ)と呼ばれていました。
主祭神はだいこく様として馴染みの深い「大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)」です。
出雲大社の歴史


写真引用:出雲古代歴史博物館
長さ109mの引橋(ひきはし)の先に建つ本殿は、地上48mの高さを誇り、平安時代には”日本で一番高い建物”と称されていましたが江戸時代以降は疑問視されていました。当時の技術ではその高さの木材建築は不可能ではないかとも言われてきました。
ところが平成12年に出雲大社の本殿の南側で鎌倉初期の造営と推測される太い杉を3本束ねた直径3m以上の「心御柱(しんのみはしら)」や「宇豆柱(うづばしら)」が出土し、いにしえの本殿の平面設計図とされる「金輪御造営差図(かなわのごぞうえいさしず)」と一致し、巨大な神殿の存在を裏付ける発見となりました。
大国主大神(オオクニヌシノオオカミ)

出雲大社の主祭神である大国主大神は、多くの兄弟の末っ子として出雲に生まれました。大きな袋と打出の小槌を持って米俵の上に立つ「だいこく様」の姿でもお馴染みです。
神話では「因幡の白ウサギ」が有名で、サメに全身の皮を剥かれた白ウサギが、大国主大神の兄達から“海水に浸かり風に当たれば治る”と教えられ、そのとおりにしたところ海水が乾いて傷がもっとひどくヒリヒリ痛みだしました。
ウサギが痛みで泣いているところにやってきた大国主大神がやって来て、“真水で塩を洗って蒲(ガマ)の穂に包まれると良い”と教えたところ、ウサギのからだから毛が生えはじめ、すっかり元のしろうさぎに戻りました。
というお話で、大国主大神の優しい性格がうかがえる一幕です。
大国主大神は出雲王朝を繁栄させるという偉業を成し、多くの女神と結婚してたくさんの子供をもうけました。大国主大神が縁結びの神様と言われる由縁でもあります。