石上神宮|ピンチを救う起死回生御神剣守七支刀を祀る最古の神社

石上神宮

石上神社は飛鳥時代の豪族、物部氏の総氏神とされ、健康長寿・除災招福・百事成就の守護神として信仰されてきました。

主祭神は、布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)、御神体として神武天皇の国土平定に偉功をたてられた神剣「韴霊(ふつのみたま)」、鎮魂にかかわる神宝「天璽十種瑞宝(あまつしるしとくさのみづのたから)」 、スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治した神剣「天十握剣(あめのとつかのつるぎ)」をおまつりしています。

さらに、古代百済から献上されたとされる七支刀(国宝)をはじめ、 鉄盾、勾玉、管玉など重要文化財に指定されている貴重な宝物が数多く収蔵されています。第10代崇神天皇によって現地、石上布留(ふる)の高庭(たかにわ)に祀られました。

石上神宮の御祭神

【主祭神】

  • 布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ): ご神体の布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)に宿る神霊。

神武天皇が大和平定の際に戦いの臨んだとき、壊滅寸前だったときにこの「布都御魂(ふつのみたま)」の刀剣を授かったおかげで起死回生となり、見事勝利したという云われがあります。

  • 布留御魂大神(ふるのみたまのおおかみ):十種神宝に宿る神霊。

「十種神宝(とくさのかんだから)」と称えられた神宝10種あるうちの1つで、死人をも生きかえらせるというもの。

  • 布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ):天羽々斬剣(あめのはばきりのつるぎ)に宿る神霊。

神話でも有名なスサノオがヤマタノオロチを退治したときの刀です。ちなみにその際ヘビの体から出てきた剣が三種の神器の1つ、「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」となっています。

【配祀神(はいししん)】

  • 宇摩志麻治命(うましまじのみこと):饒速日命の子で、石上神宮の祭主物部氏(もののべし)の祖と言われています。
  • 五十瓊敷命(いにしきのみこと):第11代垂仁天皇の皇子で、石上神宮の神倉(ほくら)の管理をしたと言われています。
  • 白河天皇 :第72代の天皇で、石上神宮に神嘉殿(しんかでん)を拝殿として寄進されたと言われています。
  • 市川臣命(いちかわおみのみこと) : 第5代孝昭天皇の皇子の後裔で、石上神宮の社家の祖と言われています。

石上神宮の拝殿

楼門をくぐると国宝に指定されている拝殿が目の前にあります。
こちらの拝殿は第72代白河天皇が永保元年(1081)に寄進されたもので、拝殿としては現存する日本最古のものであり、国宝に指定されています。

その裏にある本殿は本来、なかったので、宝物や布都御魂が発見されるまでは禁足地と呼ばれる瑞垣で囲ったエリアを最も神聖な霊域として祀っていました。

 

石上神宮の本殿

画像引用元:公式サイト

石上神宮の御神体である神剣「韴霊(ふつのみたま)」が禁足地の土中深くに祀られているという伝承があったため、明治の頃に当時の大宮司 菅政友(かんまさとも)が官許を得て調査しました。

多くの玉類・剣・矛などが出土し、神剣「韴霊」が顕現され、伝承が正しかったことが証明されました。

その後、明治43年から大正2年にかけて神剣「韴霊」を奉るために本殿が建てられ、神庫(ほくら)を禁足地内の南西の隅に移築して、現在の状態に整えられました。

神剣「韴霊」が顕現された地点は本殿と拝殿との間で、現在大きな石を置いて標示してあります。神剣や出土した玉類などは、その多くが重要文化財に指定されています。

石上神宮の楼門

楼門は、鎌倉時代末期、第96代後醍醐(ごだいご)天皇の文保2年1318に建立されました。高さ10m・2階建て。

江戸時代まで、上層に鐘が吊られていたので、「鐘楼門」と呼ばれていましたが、鐘は神仏分離令によって撤去されました。

正面には山縣有朋の筆による「萬古猶新」と記された木額が掲げられています。重要文化財です。

門をくぐって、拝殿の手前で数人の宮司さん達がこちらに歩いてこられました。月次祭を斎行された後なのか、それとは全く関係なくただ移動中なのか、見ているだけでしたがこんな情景に初めて遭遇しました。

楼門を下にみるような形で、摂社の出雲建雄神社(いずもたけおじんじゃ)があります。この摂社は、公式サイトでは、「草薙剣(くさなぎのつるぎ)の荒魂(あらみたま)である 出雲建雄神(いずもたけおのかみ)をお祀りしています」とあります。

石上神宮の御朱印

こちらは国宝七支刀の御朱印です。御朱印は楼門をくぐって、左手の授与所で頂くことができます。

こちらが授与所。御朱印もこちらで買えます。

石上神宮のお守り

これはピンチをチャンスに変える「起死回生」のお守りです。

ご利益は、起死回生・百事成就・除災招福・無事息災。

起死回生とは死にかけていたものを生き返らせることで、ほとんど望みのなくなった状況から再び元の状況に盛り返すことだそうです。

すご~くご利益がありそうな感じですよね。あやかりたいです!

色は朱色と黒色があり、七支刀が金色で刺繍されていてとても美しいです。

私は黒を選びました。肌見放さず持っているといいそうですよ。

石上神宮の七支刀

画像参照元【石上神宮公式サイト】

七支刀は全長約75センチ。石上神宮に伝来した古代の鉄剣です。剣身の左右に段違いに3本ずつの枝刃を持つ剣で、剣身に金象嵌の銘文が表裏60余字記されていますが、錆のため解読できない文字もあります。

『日本書紀』には七枝刀(ななつさやのたち)との記述があり、4世紀頃、神功皇后摂政52年に倭に対し百済が朝貢した際に献上されたものとされています。

 

石上神宮の鶏

神代の昔、天の岩戸開きの神話に、常世の長鳴き鳥を鳴かせて闇を払い夜明けを告げ、天の岩戸を開いたという神話により、鶏は神道と大変深い吉祥の霊鳥とされています。

※境内にある貼り紙より引用

石上神宮にはニワトリが放し飼いにされています。ニワトリはすでに『古事記』『日本書紀』に登場し、暁に時を告げる鳥として、神聖視され、神様のお使いともされています。

小さいニワトリから大きいニワトリまで、たくさんのニワトリたちが自由気ままに闊歩しています。

ニワトリたちは人に慣れているのか、近づいてもあまり逃げないので、ゆっくりとニワトリたちを眺めることができます。

普段良く見慣れているニワトリと違って長鳴鶏(ながなきどり)や東天紅(とうてんこう:高知県産・天然記念物)、烏骨鶏(うこっけい:天然記念物)など見ることもないし、どんな鶏だろうと思っていました。

ここに来るとどれがどの鶏かわからないですが、とてもカラフルな鶏もたくさんいました!見ていて癒やされますね。

ニワトリは石上神宮の一番の人気者だそうです。

石上神宮の禁足地

画像引用:公式サイト

拝殿の奥は現在本殿が建っていますが、明治以前には一切の建物はなく、石上大神様の鎮まる神聖な霊域として、古絵図には「御本地」と記されていました。

拝殿後方、約1,300㎡の地を「禁足地」といい、「石上布留高庭(いそのかみふるのたかにわ)」と称えられ、当神宮の御神体が鎮まる最も神聖な霊域とされています。(立入りはできません)

この神聖な禁足地(きんそくち)を囲う垣が廻らされており、現在のものは剣先状の石製でいづれにも「布留社(ふるしゃ)」と刻まれ、貞享2年(1685)と刻字したものです。

明治に当時の大宮司が官許を得て、この御本地を調査したところ、神宿る剣ほか多くの玉類・剣・矛などが土の中から出てきました。国宝である七支刀も、こちらの神庫(ほくら)にあったのだそうです。

出土品の中に、鉄刀が1本ありました。「フツノミタマ」あるいは「フルノミタマ」と呼ばれた霊剣であろうと丁重に祀られました。発掘地を埋め戻したのち、そこに本殿を造営しました。

現在、禁足地の中には御本殿が建ち、この時に場所の関係で禁足地は後方に拡張されました。

ご神剣が顕現(けんげん)されたところには大きな石が置かれていて、拝殿左右の廻廊の連子窓(れんじまど)より、目が良ければ見ることができるそうです。

石上神宮の神庫(ほくら)

画像引用:公式サイト

拝殿の後方、禁足地の中に扉が左右にあって、御鍵(みかぎ)が2つある神庫(ほくら)と呼ぶ建物があります。

古来より御神宝(ごしんぽう)を蔵する庫として特に神庫と称されていて、校倉造り(あぜくらづくり)になっています。

神宮には古くより本殿が無かったため、大切なものをおさめる神庫があったとみえて、相当古くから神庫があったことが知られます。

『日本書紀』垂仁天皇紀に石上神宮のご神宝を管理するイニシキノミコトが年老いたので、妹の大中姫にその役目を託されたところ、姫は「私はか弱い女です。

どうして神宝をおさめる高い立派な天神庫(あめのほくら)に登ることができましょうか」と言って辞退されたことが記されています。

神庫は御神宝を収蔵する庫であると同時に神格の宿るところとされ、毎年12月31日に「神庫祭(ほくらさい)」を斎行して御神宝の御安泰を祈願しています。

一年の終りに当り、12月31日午後3時より神庫祭(ほくらさい)が行なわれます。この祭典に参列の時だけ、祭員と一緒に禁足地に参入することが許されるそうです。

機会があれば是非とも参列したいですね。

石上神社の回廊

桜門と回廊

社務所前の一寸した広場をすぎ、拝殿前の斎庭を取り囲むように建てられています。連子窓がついており、縁が朱色に彩色され、四角の窓枠は緑色となり、縦に棒(連子子―れんじこ)が付けられています。

現在の廻廊は、昭和7年に建てられました。
古い記録には、宝永4年(1707)10月の南海・東海大地震で倒壊したと記されています。

更に古く、元亀元年(1570)に修覆すとあり、かなり以前より、廻廊は設けられていました。

石上神宮の摂社 出雲建雄神社拝殿

草薙剣(くさなぎのつるぎ)の荒御魂(あらみたま)である、出雲建雄神(いずもたけおのかみ)を祀っている神社拝殿です。

保延3(1137)年に建立された大寺院でしたが、神仏分離令により明治9年に廃絶しました。

元来は内山永久寺の鎮守の住吉社は残されましたが、その住吉社の本殿も明治23年に放火によって本殿が消失してしまい、拝殿だけが荒廃したまま残されていましたので、当神宮摂社の出雲建雄神社の拝殿として移築しました。

大正3年に現在地に移築されました。この建物は内山永久寺の建物の遺構として貴重なもので、国宝に指定されています。

石上神宮の摂社 天神社・七座社

天神社には、高天原に最初に誕生した三神のうち、二神の高皇産霊神(たかみむすびのかみ)・神皇産霊神(かみむすびのかみ)の二座が祀られています。

その右隣にズラリと7つの神様が鎮座された摂社の「七座社(ななざしゃ)」があります。

七座社主祭神

①生産霊神(いくむすびのかみ・中央)②足産霊神(たるむすびのかみ)③魂留産霊神(たまつめむすびのかみ)④大宮能売神(おおみやのめのかみ)⑤御膳都神(みけつかみ)⑥辞代主神(ことしろぬしのかみ・右)⑦大直日神(おおなおびのかみ・左)

両摂社には、 生命を守護して下さる宮中八神に、 禍(わざわい)や穢(けがれ)を改め直して下さる大直日神を併せてお祀りしたものです。、

当神宮の鎮魂祭(ちんこんさい)と深い関係があり、 上古から御鎮座になっていると伝えられています。

江戸時代には、天神社は天神御祖神殿・八王子殿など、七座社は長庄神殿などの名で呼ばれていました。

 

石上神宮の末社 猿田彦神社

主祭神は、猿田彦神(さるたひこのかみ)

 中筒男神(なかつつのおのかみ)、 上筒男神(うわつつのおのかみ)、 息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)、 高靇神(たかおかみのかみ)を配祀神としてお祀りしています。

江戸時代には、祭王御前・山上幸神・道祖神社などと呼ばれ、現在地よりさらに東の山中にお祀りされていましたが、 明治10年に現在地にお遷ししました。

その後、 明治43年に内山永久寺の鎮守社であった住吉社の御祭神を合祀しました。

石上神宮の末社 神田神社(こうだじんじゃ)

神田神社】(こうだじんじゃ) 神武天皇が御東征の途中、熊野にて御遭難になった折に、高天原から下された当神宮の御神体である神剣「韴霊(ふつのみたま)」を天皇に奉った高倉下命(たかくらじのみこと)をお祀りしています。

境内にある「烏帽子岩(えぼしいわ)」は、布留川でとれる珍石で、往古より珍重されているものです。

石上神宮の末社  祓戸神社(はらえどじんじゃ)

入口は注連柱に縄が張られたタイプの鳥居となっており、この先は立入禁止になっています。また、由緒書なども無かったため、当社の詳細は不明です。
画像出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

社名より推測される祭神は祓戸大神(はらえどのおおかみ)ですが、この神は神道において祓を司どる神です。

神職が祭祀に先立って唱える祝詞である「祓詞」では「伊邪那岐大神 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に 禊祓給ひし時に生り坐せる 祓戸大神等」と言っており、祓戸大神とは、日本神話の神産みの段で黄泉から帰還した伊邪那岐命が禊をしたときに化成した神々の総称ということになります。

  • 瀬織津比売神(せおりつひめ) — もろもろの禍事・罪・穢れを川から海へ流す
  • 速開都比売神(はやあきつひめ) — 河口や海の底で待ち構えていてもろもろの禍事・罪・穢れを飲み込む
  • 気吹戸主神(いぶきどぬし) — 速開都比売神がもろもろの禍事・罪・穢れを飲み込んだのを確認して根の国・底の国に息吹を放つ
  • 速佐須良比売神(はやさすらひめ) — 根の国・底の国に持ち込まれたもろもろの禍事・罪・穢れをさすらって失う

『延喜式』の祝詞には瀬織津比売・速開都比売・気吹戸主・速佐須良比売の四神を祓戸大神と呼ぶとされています。これらの神は葦原中国のあらゆる罪・穢を祓い去る神で、「大祓詞」にはそれぞれの神の役割が記されています。

ちなみに、この内の瀬織津比売(せおりつひめ)天照大神の荒魂として祀られることが多い神であり、向津媛命(むかつひめ)という名で祀られていることもあります。

石上神宮の大鳥居

参道の入口に建つ大鳥居、高さ7メートル、最上部の笠木の長さ10メートル、柱の直径は76センチとなっています。

現在の大鳥居は、昭和3年の昭和天皇の御大典を記念して建立されました。台湾の檜(ひのき)が用いられているそうです。

平成23年3月に腐朽、耐久性につき調査の結果、早急に修理が必要との提言を受け、解体し、柱や貫などを取替えて、平成23年9月に再建立されましたが
両側の柱、貫は日本の檜では使える木が入手困難となり、カナダの檜が用いられたそうです。

石上神宮 柿本人麻呂歌碑

画像引用元:公式サイト

社号標の近くに建つ万葉歌碑で、『万葉集』の巻4(501番)柿本朝臣人麻呂の歌

「未通女(おとめ)らが 袖振山(そでふるやま)の 瑞垣(みづがき)の 久しき時ゆ 思ひき吾(われ)は」と刻まれています。


「乙女が袖を振る、そのふると名も同じ布留山(ふるやま)の古くより神様をまつる瑞垣(みずがき)のように、長い間あの人のことを思ってきた、わたしは」と言った意味だそうです。

石上神社の鏡池(かがみいけ)とワタカ

鏡池は、江戸時代の絵図から往古には「石上池」と呼ばれていたことが知られます。この池には、奈良県の天然記念物に指定されているワタカという魚が生息しています。

 

ワタカは我が国特産の鯉科の淡水産硬骨魚で、体は細長くてひらたく、頭は小さく眼は大きく、体色は背部が緑青色である他は銀白色です。別名を「馬魚(ばぎょ)」といいます。

ワタカは水草類を主食としており、当地ではそのことより馬魚(ばぎょ・うまうお)と呼んでいて、その形も背面が盛り上がっていて、少々ウマらしい姿となっています。

石上神宮鏡池馬魚の伝説:南北朝時代後醍醐天皇が吉野に逃れるとき、馬がいな鳴いて敵に見つかるのを怖れて首を切り落としました。
それが馬魚になったといわれています。

ワタカの写真をネット上で見つけましたので、ここにご紹介しておきます。口がやや上向きに付いているのが特徴のようです。

琵琶湖や淀川水系に棲息する魚のようですが、今では全国の河川で見られるようになりました。

石上神宮の神杉

『万葉集』に「石上布留の神杉…」と詠われる神杉が古くは数多く繁茂していました。
現在も樹齢300年を越える杉が数本あり、神杉と呼ばれているそうです。

東側神杉
幹囲り3.4メートル、樹齢は350年を越え、高さ約30メートルです。

西側神杉
幹囲り4.1メートル、樹齢は400年前後、高さ約35メートルです。

すごいですね。樹齢400年なんて。地震や台風などにビクともしなかたんですね。

石上神宮の桜

日本でもっとも古い神社の一つ、石上神宮。その正面参道を出た左手の石上神宮外苑公園周辺にある桜は、ほとんどがソメイヨシノで、3月下旬から4月上旬にかけて、「天理桜:ライトアップ」が開催されます。約600本の桜が咲く。

期間中は、桜並木や公園内には、風雅なぼんぼりが設置され、お店も出て、夜には明かりが灯されます。

神宮外苑公園は天理市有数のお花見スポットであるため、シーズン中は多くの人で賑わいますが、道路を挟んだ向かい側には臨時の駐車場も設けられているため、お車での来場も可能。

JRおよび近鉄天理駅から徒歩だと40分前後で着くので、散策がてら、徒歩で訪れるのも風情があって良いのではないでしょうか。

お花見のシーズン中は、花見客の食欲を満たすため、数々の屋台が並びます。屋台といえば、お花見とは切っても切れない関係にあるもの。屋台でいろいろ買い求めながら園内を散策するのもたのしいですね。

桜は何も公園内にだけ植えられているわけではありません。石上神宮前の車道にも、たくさんの桜が車道に沿って植えられており、見応えあり!

付近は高台に位置していることもあり、桜越しに天理市の市街地、さらに奈良盆地を見渡すことも出来ます。

石上神宮からは日本最古の道といわれる「山の辺の道」(やまのべのみち)ものびており、その道沿いにもたくさん桜が植えられています。

※新型コロナウイルス感染拡大の影響で、イベントやライトアップの中止、臨時休園となっている施設があります。最新情報は公式サイト等をご確認ください。

石上神宮付近の美味しいランチ

麺場 力皇

元GHCヘビー王者力皇猛さんのお店。 店内はジャズが流れて雰囲気良く、ラーメン店とは思えない綺麗な内装。 太麺ですがスープとよく合います。 鶏つくねとチャーシューも絶品! 

Le Reve ル・レーヴ

おしゃれでラグジュアリー感溢れる空間ながら、手の届きやすいリーズナブルな価格で、とっておきのお店にしている人も多い天理にある知る人ぞ知るフレンチレストランです。

 

 

カフエ・テラスオズ

落ち着く店内の雰囲気。ママの優しさ。コスパの良さ。

マロンミルクが人気です。

パイナップルとココナッツミルクも美味しいです。

和食 和楽

安くて美味しい!! 初めて行ったけど、安くて、お魚が美味しいのでびっくりしました。

 

 

 

カフェ ブリックス

人気があるのでお店はいつも満員状態。雑貨屋もあるスペイン風老舗のカフェ。お昼も落ち着いていて素敵な空間です。

 

 

うなぎの店 淡水

鰻の焼き加減は、最高ですね! 皮パリでした。 鰻のタレは、甘さ控えめであっさり系ですね! うざくの三杯酢の酸味と鰻のタレの甘みが程よく!食欲を増進させられるさっぱり感でした。

 

ジャンボたこ焼 天理本店

外はカリッと中はふわふわ!

色々なソースがあって何にするか悩むけれど、やっぱりマヨネーズとソースかな。

 

 

石上神宮の駐車場

こちらは石上神宮の第一駐車場。

神宮に一番近い駐車場です。

乗用車20台、駐車ができます。
平日はご参拝の方々は無料で自由に利用できます。
但し、正月三ヶ日や大祭日など駐車できない日があります。

私達が停めたのも多分第一駐車場だった気がします。

すぐに回廊が見えてきましたから。。。

石上神宮へのアクセス

画像引用:公式サイト

大阪難波から(所要約60分

■近鉄奈良線「大阪難波」駅より奈良行(快速急行・急行)に乗車約35分、「大和西大寺」駅で乗換。天理行に乗車約20分、「天理」駅で下車。
※「大和西大寺」駅より橿原神宮前行に乗車の場合は、「平端」駅で天理行に乗り換え。

京都から(所要約60分

■近鉄京都線「京都」駅より天理行(急行)に乗車約60分、「天理」駅で下車。
※「京都」駅より橿原神宮前行(急行)に乗車の場合は、「平端」駅で天理行に乗り換え。

神戸から(所要約90分)

■阪神なんば線「三宮」駅より奈良行(快速急行)に乗車約70分、近鉄奈良線「大和西大寺」駅で乗換。天理行に乗車約20分、「天理」駅で下車。
※「大和西大寺」駅より橿原神宮前行に乗車の場合は、「平端」駅で天理行に乗り換え。

画像引用:公式サイト

天理駅より徒歩

■徒歩で約30分

天理駅よりタクシー

■タクシー(10分以内で)約1300円

天理駅よりバス

奈良交通バス苣原行き乗車、「石上神宮前」下車7分、徒歩5分。

画像引用:公式サイト

高速道路出口より

名阪国道
「天理東インター」から約5分
西名阪自動車道
「天理インター」から約15分

画像引用:公式サイト

石上神宮 地図 アクセス

所在地 〒632-0014 天理市布留町384
TEL/FAX 0743-62-0900 / 0743-63-3124
拝観時間 御門内での参拝は日の出より日没まで
休日 なし
交通アクセス 最寄り駅からの交通
   JR・近鉄 天理駅
   苣原行きバス「石上神宮前」下車 徒歩7分
駐車場 無料 200台
地図  

石上神宮の境内地図

画像引用:公式サイト